サウナマシーン寺田

元サラリーマンによるサウナ絵日記

私は精神障害なのだろうか

 

 標題の懸念を疑って久しい。中学生の頃に周囲とのすれ違いから酷い虐めに遭い、強く認識するようになった。

 大学受験の進路選択においては、自らの異常性を理解したくて人間科学、とりわけ心理系の学部を志した。しかし周囲の大人、とりわけ両親からの「そんな不健全な考え方はやめろ」「心理系は食っていけない」という声を受け、葛藤する日々が続いた。結果、自ら進みたい進路を踏み切ることが出来ずに受験勉強を続け、あまり興味がない英語系の学部に進学した。ただ受験英語がそれなりに得意だったからだ。本当は英語など好きではない。幼少期の頃に横田基地のイベントに招かれた際はアメリカ人の中年女性に抱きあげられた時にはあまりの嫌悪感に号泣した。

 なぜこのような人生になってしまったのか。もちろん自分自身の自己決定感の弱さに責任があることは間違いない。しかし、先に述べた両親を中心とする周囲の大人からの圧力が私の自我同一性に多大な影響を及ぼしたことは、客観的に証明が出来なくとも私自身が一番痛感するところだ。このような言い方をすると自責を放棄しているのではないか、大人にもなって情けないという痛烈な意見が向けられるだろう。だが、私には自分で生き方を選択するという経験をことごとく奪われて生活してきたという主観的な感覚があるのである。

 両親は優秀な人間ではなかった。父は私の幼少期から「お父さんは早稲田大学出身だ」というマウントを取ってきた。しかし、それはある意味嘘だったのである。父は実のところ三流私立中高一貫校の出身で、推薦で日大に進学した。それから進路が定まらずに同レベルの諸大学を転々とした。齢も30を過ぎた頃、祖父の「そんな経歴では社会で示しがつかないだろう」という働きかけを受け、当時社会人向けのの夜間コースがあった早稲田大学の社会科学部に進学したのである。一方で母は短大の出である。その学校はもはや世間には存在しない。立場が無く消滅したのである。

 それにも関わらず、両親は私に徹底した学業路線を強制した。すなわち、自らの劣等感を私の人生で償おうとした。私は両親の経歴を中学受験を終えるまで知る由が無かった。父は最初から一流大学の出だと聞かされていたし、母は頭脳明晰な女性として父に言い聞かされていた。ある時、中学生になって入った個別指導塾の三社面談で両親がこの偽りの経歴を私の前で平然と暴露したのである。衝撃だった。両親を信じて「自分もそうなりたい」という信念で友達との楽しい時間を勉強に捧げていたのに、その動機の根本にある両親の輝かしい経歴という前提をポキっと目の前で折られたのである。

 もちろん勉強に投資して貰えただけ恵まれているだという意見があるだろう。それはもっともだ。援助が無ければ私はまともな経歴を歩めなかっただろう。だが、両親が私に嘘をついていたという紛れもない事実は未だに心に引っかかる。ここから私は両親を心から信頼出来なくなった。

 この経験から、私は大人を信用出来なくなった。大人が言っていることは大概見栄で、真実であるかは全く証明が出来ない。そのような信念を抱いて生活していくうちに、教師もとい塾の先生など尚更信用出来なくなった。勉強をすることを辞め、アニメやゲームに没頭する中高生活を送った。当然そのようなひねくれた趣味を持っていたので恰好の虐めの対象になり不遇な中高時代を過ごした。

 高校生になると、教育熱心な両親は私に家庭教師をつけた。今も忘れはしない。この家庭教師が私の大人嫌いを決定付ける存在だった。宿題をやってこないと「知恵遅れ」呼ばわりをされた。指導中に我が家のトイレで煙草を吸われたこともあった。悔しくて自学自習で英語の偏差値を70近くまで挙げ、「私は知恵遅れではない、これ以上指導をしないでくれ」と懇願しても「俺は勉強の面では現役を引退したから満足な指導は出来ない。なのでプロ講師の様な指導ははなから出来ない」と理不尽に論破された。そのくせ両親にはいい顔をするので、なかなか辞め時が無かった。その男も早稲田の出身だった。結果、受験期の夏に泣きながら親に「あの家庭教師の契約を切ってくれ」と土下座をして漸く離れることが出来た。

 このような辛い経験を以前に親に何度も相談したにも関わらず、親は私の感情に無頓着であった。「お前は強制させられないと勉強しない」の一点張りであった。私はこの逃げようのない生活にがんじがらめになり、次第に自己効力感を失っていった。すなわち、自分は何をやっても思い通りにはならないと強く感じる様になったのである。

 ここから私は確実に心を病んだ。その経験から同じ思いをしている子どもを将来自らの手で救いたいと強く思う様になった。だからこそ心理系の学部を志望したのである。だが親はその進路にさえ「金にならない」と干渉してきた。もう駄目だと感じた。

 結果、私は当たり障りの無い英語系の学部に進学した。親はそれなりの大学に行ってくれたからと安心し、干渉して来なくなったので学生生活は遊びの面では総じて楽しかった。しかし、学問の方は全く楽しく無かった。4年間で学んだことはほぼ無い。親の顔をうかがって進んだ道は、やりたいことでは無かったからだ。

 今、社会人を経て自らの貯金でやりたいことを選択できるようになった段階で、漸く本当にやりたいこと、すなわち心理学の勉強をして自分と同じ悩みを抱えている子どもの支援をしたいという夢に近付けている実感がある。私は頭が悪い。なので満足行く結果に結びつけるのは難かしいのかもしれない。実際に大学受験の際に経験した「できない」という痛烈な劣等感が心理学関連の教科書を読んでいると顔を出すことがある。それを頭が可笑しくなりそうになりながら抑える日々である。勉強がしたいのに病んだり集中できなかったりすることが多々ある。気分の浮き沈みも激しい。診断されていないだけで、自分は両親の異常性を引いたASD、ADHDあるいは双極性障害なのではないかという懸念が頭に強く浮かぶことがしばしばある。実際に私は社会人生活の頃に診療内科で双極性障害の疑いの診断を受けたことがある。

 だが、覚悟を決めてしまった以上はやるしかない。どのような結果になろうとも、人生で初めてつかみ取った自分の道を自分で決めるという機会を自分なりに一生けん命全うしたいという所存である。